
2月1日。卒業式まで約1ヶ月。
卒業式までの間、願書の受付や入学試験、そして合格発表などがあり、学校は大忙しです。在校中にわからなかったのは事務室のスタッフの皆さんの忙しさではないでしょうか。
今日、学校を訪ねてみると、皆勤賞の賞状や卒業証書の準備が始まっていました。見たことありました?皆勤賞の賞状。
成績が悪くても皆勤賞を狙いなさい、と母が言っていたけれど、かなえてあげらなかったなぁ…。

面白がってブログ用にと写真を撮っていましたら、江澤慶子事務長が、ちょっと見せたいものがあるんです…、とおっしゃられて、昨年の卒業証書を事務室の天井にかざしました。
見えるかしら…? うーん、見えるって、何がでしょう?
わかるかしら…? いったい何のことやら…。
よく見えるようにと、江澤事務長は卒業証書をかざす角度を変えてくださいました。 すると…。

見えました!
皆さんには見えますか?
この写真なら判読できるはずです。透かしの文字です。上には校章が。
稲毛高校の卒業証書は、校章と校名の透かし入りだったって、卒業生の皆さん、知ってました?
透かし。英語ではwatermark と言いますが、透かしを入れる技法に名前の由来があるようです。とっておきのための、とっておきの紙です。
高校を巣立っていくときに、送り出す側に立って眺めてみたら、別の意味で感慨が湧いてきました。私たちはたくさんの人たちに支えられて、祝福されて、卒業していったんですね…。
今日はこのブログで、もうひとつの記事を。うれしいメールが届いたのです。
1月19日のブログで「特集『恩師がのこした言葉』 第1回 榊田裕己先生」という記事をアップしましたが、第1回生の方からメールが届きました。ご本人の諒解を得ましたので、全文を紹介いたします。差出人は、“暁の勇者”さんです。
榊田先生・・・すごく懐かしかったです。
私は、1回生なのですごく思い出があります。
国語も教えていただきました。
残念なことに私には、初めての卒業文集の『碧空』が、手元にありませんでした。
しばし、探しましたが、見つかりませんでした。とても残念です。
出来れば、是非に分けていただきたいのですが?
榊田先生のお言葉を、期せずして読むことが出来、大変感動しています。
当時では、気づかなかったこと、あの当時の情景・・・懐かしいです。
次の文章を読み返しながら、不覚にも涙が出てきそうになりました。
1. 思えば 三年間 短いものであった
いろいろあったなぁ
しかし燃えていた
「第1回」という言葉がなんとなく緊張させもした
2. あの松の苗木は いずれ林となり葉を繁らせるだろう
いつか稲毛の浜の松林で高校生が語り合うかもしれない
その頃一回生はどうしているだろうか
3. いま こんな文章を書いていると
あの虹のかかった空のように
はてしなく はてしなく
君らの将来が 思われてならない
良い先生方に出会い、沢山、教わりました。やはり素晴らしい高校です。
末筆になりましたが、榊田先生の御冥福をお祈りさせていただきます。
第1回生 暁の勇者より
暁の勇者さん、ご投稿ありがとうございました。
初めての卒業文集の『碧空』は同窓会にも残っておらず、母校の図書館で閲覧することができます。文化祭などで母校を訪ねた折に閲覧してみてはいかがでしょうか。
同窓会としては、いつの日か、過去の貴重なアーカイブズを復刻して、頒布していく事業にもチャレンジしてみたいと思っております。
稲毛高校同窓会ブログ編集部では、卒業生および旧教職員、現教職員の皆さまからのお便りをお待ちいたしております。
母校への思い、懐かしい日々、リクエスト(先生方の近況)など、お気軽にお寄せください。
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執筆:足澤公彦(第2回生)