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千葉市立稲毛高等学校同窓会臨時総会について

8月 12th, 2022

千葉市立稲毛高等学校同窓会臨時総会について

1 日時等
令和4年8月27日(土)17:00から
本校給食棟ホール(本校通用門から入り左手に進んでください。)
※大変恐縮ですが、公共交通機関をご利用ください。

2 議決事項
第1号議案 役員人事の承認について
第2号議案 臨時的な支出の承認について
※本校同窓会は、ここ数年総会を開催していなかったため、その間の同窓会の状況について臨時総会冒頭で説明いたします。

3 出席連絡について
臨時総会に御出席いただける場合は、お手数ですがQRコードからお手続きいただきますようお願いいたします。なお、QRコードでのお手続きが難しい場合は、担当までお電話をお願いいたします。
※出席連絡は、8月26日(金)17:00までにお願いいたします。
※当日は、本人確認のため免許証、保険証等をご持参ください。

出席登録サイト用QRコード

QRコードを利用できない方はこちらからお願いします。
https://forms.gle/cFXKjqarnRNEGbL76

令和4年8月12日
(担当)副校長 桒田智晃(9期生)
043-277-4400

お宝発見!

4月 3rd, 2010

record1

「珍しいものがあるんだけど、ブログで使えるかなぁ」

このブログを読んでくれているクラスメートから連絡をもらいました。

連絡をくれたのは、笠原さんご夫妻。共に第2回生です。稲毛高校への愛校心あふれるお2人です。

 

早春とはいえまだブルブル震える陽気のある夜、笠原夫人からお預かりしたのは、なんと1枚のドーナツ盤でした。

ドーナツ盤? CD世代の同窓生にはなんのことやら…。

ドーナツ盤とは、シングルカットされたレコードのこと。裏と表に1曲ずつ録音されています。表をA面、裏をB面と呼びます。

このレコード、校歌が収録されています。A面とB面とで、演奏形態を変えています。

校歌発表会の後に、第1回生と第2回生に配布されたようなのです。これは、まさにお宝!

 

record2

「もらったでしょう!覚えてないの?」

記憶にありませんでした。思い出せませんでした。

今年、筆者は47歳になりますが、高校生の頃、貸しレコード屋さんが全盛期でした。

CDが登場するのは1982年。本格的に普及し始めるのは日本では1985年ごろです。

小型ステレオカセットプレーヤー「ウォークマン」が1979年に発売され、聞きたい曲、録音して残したい曲は、FM放送で「エアチェック」したり、レコードを借りてきてカセットテープに録音したものでした。

 

record3

わが家には、レコードプレーヤーがありますが、場所を取るからと、倉庫にしまったままです。

今度学校へ持っていって、放送室でこのドーナツ盤をかけてみたいものです。

放送室にはまだレコードプレーヤーはあるのかなぁ。レコード針を替えたのはいつが最後かなぁ。

 

今回の記事は、笠原順一君・淑子さん(旧姓:水本)ご夫妻のおかげで執筆できました。ありがとうございました。

 

 

 

ブログ編集長からのお願い

どなたか、今でも「稲毛バッグ」を保存している方、いらっしゃいませんか?

もしお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひお知らせください。

その他、稲毛高校グッズをお持ちの方、ぜひご一報ください。

執筆:足澤公彦(第2回生)

4人の同窓生が加わり、新連載がスタートします!

2月 11th, 2010

稲毛高校同窓会ブログで新連載がスタートします。

4人の執筆者をご紹介します。プロフィール原稿が到着した順番でご紹介していきます。

 

 

まずは、宮川文吾さん。

第12回生です。国際教養科の第1回生です。ご本人から寄せられたプロフィールです。

 

1974年11月10日生まれ。
演出家。脚本家。
吉本興業「よしもとクリエイティブカレッジ」2期生
主に音楽アーティストのコンサートステージ演出を担当。毎年全国ツアーで忙しい。
フジテレビ「お台場冒険王『ウォーターボーイズショー』」演出プロデューサー。他
イベントも多数手がける。
ACC CMコンクール「ラジオCM脚本部門大賞」受賞をはじめ、数々の舞台・CMの脚本において脚本賞を受賞。代表作には、大塚製薬「ポカリスエット」(ラジオCM)、「ポカリスエットステビア」(ラジオCM)など。

 

 

続いて、鈴木志津子さん。旧姓・弘中志津子さん。

第3回生です。ご本人が書かれた自己紹介文です。

 

高校1年生の夏休みに編入試験を受験。無事合格して2学期より稲毛高校生に。担任の先生は川崎健一先生。
ドラム志望で「管弦楽部」に入部。パーカッションを担当。2年生の時の担任は大場利雄先生。
文化祭に向けて、有志の演劇集団に参加。裏方として舞台美術らしき担当となる。3年生の時の担任は加藤正登先生。卒業を控えた11月になって進路希望が二転三転し加藤先生に激怒された思い出…。
グラフィックデザインを学ぶため都内の美術専門学校へ進学。2年後、写真加工会社に就職。暗室作業に耐えられずホテル業へ転身。結婚するまでホテル業に従事した。
専業主婦としてしばらく生活していたが、子どもの保護者会活動をきっかけに、そこでの出会いからデザインの仕事を本格的に開始する。平成14年頃です。現在、自宅で、編集やデザインの仕事にひっそりとたずさわっています。

 

 

3人目は、山崎陽一郎さん。

第1回生です。以下は、ご本人から寄せられたプロフィールです。

 

1963年12月17日生まれ。
東京デザイナー学院インテリアデザイン科に進学。
卒業後、数年間音楽関係の仕事に携わるも、やりたい仕事を目指し建築業界に入る。
1999年、トータルクリエイティブオフィス「cool jam desgin」を立ち上げ、ショップデザイン、ウェブ製作、写真撮影などを柱に、総合的な物づくりをはじめ現在に至る。
クライアントのニーズはまさに千差万別。主観的なルーチンで仕事を運ぶのではなく、本当に必要としているものを提供することがモットーです。
取得資格:二級建築士、電気工事士二種、重機免許、普通免許
趣  味:アコースティックギター、アクアリウム、テニス、ダーツ、美味いもの探索(お店めぐり)
ホームページ http://www.jamminxjam.com/
ものづくりブログ http://ameblo.jp/jamminxjam/

 

 

4人目は、宮崎かおりさん。

第20回生です。現在、南アフリカ共和国に滞在しています。南アフリカ共和国から届いた自己紹介です。

 

私は1998年に国際教養科に入学しました。
当時、私たちのクラスには、男子が11人もおりました。国際教養科としては異例のことで、それまでで最多でした。
クラスメートは、みんな個性豊かで、とにかく賑やか! とても楽しい高校生活3年間を過ごしました。
高校卒業後、言語をさらに勉強するために神田外語大学へ進学。チアリーディング部に所属しました。外国語とチアリーディングに全力を尽くした4年間でした。
大学在学中にタイ語を第二外国語として学んでいたことから、卒業後は、タイのサムイ島にあるリゾートホテルへ就職しました。
日本へ帰国後、今度は英語をもっと生かすために再度海外で働くことを決意し、南アフリカに本社があるツアーオペレーター会社に入社。
2007年ヨハネスブルグに赴任し、2009年に南アフリカ人と結婚、そして1人の息子を授かりました。
現在は家事、育児と仕事を両立しながら、毎日日本から南アフリカへいらっしゃるお客さまのご旅行中のケアをヨハネスブルグの空港でしています。

 

 

 

執筆を打診している方はまだまだ大勢います。ご本人からのプロフィールが到着し次第、順次ご紹介していく予定です。

 

さて、どんなタイトルで、どんな内容の連載が始まるのかは、乞うご期待、といったところ。

同時代を生きる、1回生、3回生、12回生、20回生が、それぞれに工夫を凝らしてメッセージを発信していってくれるはずです。

思い出話が綴られるかもしれません。

芸能界の裏話が登場するかもしれません。

サッカーワールドカップ南アフリカ大会の現地レポートがあるかもしれません。

厳選された一葉の写真が掲載されるかもしれません。

描写力抜群のイラストが貼り付けられているかもしれません。

校歌の第2番を覚えていらっしゃいますか。こんな歌詞でした。

  澄みわたりたる 碧空の
  微風は 窓辺に高し
  新しく文化を あやなすところ
  粋を集めし 我が学舎
  明朗闊達 つちかう気象
  共に学ばん 若人われら

いまこの瞬間、インターネット上にさまざまなブログがあって、無数のメッセージが発信されています。

この稲毛高等学校同窓会ブログが、他に例をみないユニークな「情報発信ブログ」となり、

「新しく文化を あやなすところ」として多くの皆さんにご愛読いただけるようにしていきたいものです。

 

執筆者の皆さんにとって、書き続ける原動力となるのは、みなさんからのコメントです。どしどしお寄せください。

 

なお、編集部の判断で、お寄せいただいたコメントが、このブログの趣旨に合わないと判断した剤には、

編集長の権限であらかじめお断りすることなく文章を削除させていただきます。

(編集長:足澤公彦 第2回生)

稲毛高校の制服は、いま…

2月 4th, 2010

0204制服正面玄関をはいって左側、スリッパの入った下駄箱の上に、ミニチュアの制服が展示されています。

左側が高等部の制服です。右側が中等部の制服になります。

パッとみて区別がつかないかもしれません。グレーのパンツまたはスカートに、白のシャツ、タイに、紺のジャケットという構成はずっと昔のままのようです。

よく見ると、パンツやスカートの、グレーの色合いと、ネクタイの色が違うのかぁと気付きます。

 

 創立10周年記念誌に、こんな文章が残っています。

 「制服決定」

 開設準備室では石母田室長と増田主査が中学校を回っての懸命のPRで大忙しの毎日であったが、同時にまた教育目標、校訓、校旗、通学カバン(後のイナゲバッグ)等の検討も進めていた。

 6月26日、校章は純銀の台に金張りのもの(1個1000円)に決定した。また制服については、長谷川教育長、松井市長に相談し、了解を得てブレザー型にすべく、布地の選定、型、縫製の細部、ボタンの図柄など17回も検討を重ねた。色は、上衣が鉄紺(259番色)、下衣がブルーグレー(無番号)のもの、生地は日毛バラッシャ織(913番)とし、10月11日に最終決定した。 (「沿革小史」より抜粋)

 

 文中の、石母田室長とは、初代校長石母田権兵衛先生のことで、増田主査とは、増田聖三初代事務長のことである。

 制服については、校内文書「紀要いなげ」の第1号に、以下のような文章がのこされている。

 「制服に斬新さを」

 制服は10月11日に決定を見た。高校進学率の上昇に伴い、町には黒装束が跋扈している。戦後30年経ってなお詰襟が制服に指定されているのである。生徒の多くは襟もとがしまらなかったり、変形したり、うすぎたなかったりで、指定することの意義に疑問を抱いたりするものである。

 この際、製造業者のおしきせでない制服をと考え、ブレザー型としたい旨、教育長さん、市長さんに伺ったところ了解が得られたので、業社を2社にし試作作業に入った。時に6月末であった。

 最終の詰めは三越1本にしぼってなされた。顧ると、布地の選定、型の決定、縫製の細部、ボタンの図柄など、最終決定までに17回も打ち合わせしたことになる。特に女子のジャンパースカートの布地はニッケの特染で無番号となった… (「紀要いなげ」第1号より抜粋)

 

 私は卒業は2回生ですが、入学は実は1回生なので、当時、稲毛高校の制服が非常に斬新で話題になったことを覚えています。手許に資料がないので確かなことは言えませんが、たしか公立高校としては県内初のブレザー&タイだったと思います。

 ネクタイを結んだりしたことがなかったので、「メンズクラブ」とか「ポパイ」といった雑誌を参照して、結び方をよく研究したものです。プレーンノット、セミウインザー、ウインザーノットと3種類の結び方があるなんて、それまでまったく知りませんでした。

 

 制服の記憶ということでは、在籍当時、生徒用の制服を着用する教職員が何人かいらっしゃいました。やはり10周年記念誌に英語科の先生だった渡辺健三先生がこんな文章を書いていらっしゃいます。

 …率先垂範の一つとして、校長先生は生徒の制服を式典に着用した。多くの先生方も、進んで着用しているとの教頭先生の巧みなお話で、私も買わされるハメとなった。袖を通した私を見て、家人は「観光バスの運転手ね」と、こともなげに言う。鏡の中の己が姿を見て、なるほどなと思った…  (「稲毛は遠くなりにけり」より抜粋)

 

 

 制服は、その後、平成5年に「制服検討委員会」が設置され、平成7年に女子制服の夏服の改定などが行なわれ、現在にいたっているようだ。

 

 いつか、アメリカのハイスクールのような「ホームカミング・デー」が実施できたら、卒業生で、お揃いの、金ボタンにエンブレムのついた紺ブレを誂えてみませんか、と提案してみたい…。 (執筆:足澤公彦 第2回生)

卒業証書にまつわる隠れた物語

2月 2nd, 2010

0202皆勤賞

2月1日。卒業式まで約1ヶ月。

卒業式までの間、願書の受付や入学試験、そして合格発表などがあり、学校は大忙しです。在校中にわからなかったのは事務室のスタッフの皆さんの忙しさではないでしょうか。

今日、学校を訪ねてみると、皆勤賞の賞状や卒業証書の準備が始まっていました。見たことありました?皆勤賞の賞状。

成績が悪くても皆勤賞を狙いなさい、と母が言っていたけれど、かなえてあげらなかったなぁ…。

 

0202証書

面白がってブログ用にと写真を撮っていましたら、江澤慶子事務長が、ちょっと見せたいものがあるんです…、とおっしゃられて、昨年の卒業証書を事務室の天井にかざしました。

見えるかしら…? うーん、見えるって、何がでしょう?

わかるかしら…? いったい何のことやら…。

よく見えるようにと、江澤事務長は卒業証書をかざす角度を変えてくださいました。 すると…。

 

 

0202証書2

見えました!

皆さんには見えますか?

この写真なら判読できるはずです。透かしの文字です。上には校章が。

稲毛高校の卒業証書は、校章と校名の透かし入りだったって、卒業生の皆さん、知ってました?

透かし。英語ではwatermark と言いますが、透かしを入れる技法に名前の由来があるようです。とっておきのための、とっておきの紙です。

 

高校を巣立っていくときに、送り出す側に立って眺めてみたら、別の意味で感慨が湧いてきました。私たちはたくさんの人たちに支えられて、祝福されて、卒業していったんですね…。

 

 

 

今日はこのブログで、もうひとつの記事を。うれしいメールが届いたのです。

1月19日のブログで「特集『恩師がのこした言葉』 第1回 榊田裕己先生」という記事をアップしましたが、第1回生の方からメールが届きました。ご本人の諒解を得ましたので、全文を紹介いたします。差出人は、“暁の勇者”さんです。

 

榊田先生・・・すごく懐かしかったです。
私は、1回生なのですごく思い出があります。
国語も教えていただきました。

残念なことに私には、初めての卒業文集の『碧空』が、手元にありませんでした。
しばし、探しましたが、見つかりませんでした。とても残念です。
出来れば、是非に分けていただきたいのですが?

榊田先生のお言葉を、期せずして読むことが出来、大変感動しています。
当時では、気づかなかったこと、あの当時の情景・・・懐かしいです。

次の文章を読み返しながら、不覚にも涙が出てきそうになりました。

 1. 思えば 三年間 短いものであった

    いろいろあったなぁ

    しかし燃えていた

    「第1回」という言葉がなんとなく緊張させもした

 2. あの松の苗木は いずれ林となり葉を繁らせるだろう

    いつか稲毛の浜の松林で高校生が語り合うかもしれない

    その頃一回生はどうしているだろうか

 3. いま こんな文章を書いていると

    あの虹のかかった空のように

    はてしなく はてしなく

    君らの将来が 思われてならない

良い先生方に出会い、沢山、教わりました。やはり素晴らしい高校です。

末筆になりましたが、榊田先生の御冥福をお祈りさせていただきます。

第1回生 暁の勇者より

 

 

暁の勇者さん、ご投稿ありがとうございました。

初めての卒業文集の『碧空』は同窓会にも残っておらず、母校の図書館で閲覧することができます。文化祭などで母校を訪ねた折に閲覧してみてはいかがでしょうか。

同窓会としては、いつの日か、過去の貴重なアーカイブズを復刻して、頒布していく事業にもチャレンジしてみたいと思っております。

 

稲毛高校同窓会ブログ編集部では、卒業生および旧教職員、現教職員の皆さまからのお便りをお待ちいたしております。

母校への思い、懐かしい日々、リクエスト(先生方の近況)など、お気軽にお寄せください。

blog-contributor@inako-doso.net

執筆:足澤公彦(第2回生)