Archive for 2月, 2010

宮崎かおりの南アフリカ最新情報「サオボーナ!」 第1回目「虹の国」

2月 26th, 2010

 新連載の3人目は第20回生の宮崎かおりさんです。

「縁は奇なり」ということばがありますが、宮崎さんとのご縁はまさに奇なるものでした。

 私の中学時代の同級生が青年海外協力隊のコーディネーターとして南アフリカ共和国に赴任しているのですが、その彼から「一緒に働いてもらっている日本人のなかに稲毛高校の卒業生がいるんだけど…」というメールをもらったことから宮崎さんとのやりとりが始まりました。そのやりとりから、ブログでの連載をお願いしたのです。

 

 ちなみに私も同窓会の役員も宮崎さんとはお目にかかったことはありません。電子メールだけのやりとりです。インターネットのおかげで国境を越えて、稲毛高校の同窓生たちと生の情報がやり取りできる…。すばらしいことだと思いませんか。

 

 この連載は、南アフリカ共和国からの、文字通り、最新の、生の情報、ということになります。

 今年は、ちょうどサッカー・ワールドカップが開催される予定です。

 また今クリント・イーストウッド監督の『インビクタス 負けざる者たち』という、マンデラ大統領になった直後の南アフリカ共和国を描いた映画も公開中です(ぜひご覧ください!編集長・足澤が自信を持っておススメします!)。

 なんとタイムリーな連載のスタートでしょうか。まさに「稲毛高校の同窓生は地球上のいたるところで活躍している」ということが実感できる好企画のはじまりです。

 宮崎かおりさんの連載のタイトルは「サオボーナ!」にしました。ズールー語で「こんにちは」という意味だそうです。

 連載が続き、いつの日か、稲毛高校に在籍している高校生や中学生から宮崎さんに質問コメントが寄せられる日がくることを、編集部一同、待っています。

 

 それでは宮崎かおりさんの南アフリカ最新情報 第1回目「虹の国」をお読みください。

 

 

 

旦那と息子と私.jpg

ご主人のムトゥトゥゼリさん、生後7か月のアヤンダ・一郎くんと

稲毛高校卒業生の皆さま
在校生の皆さま
ブログをご覧の皆さま

 

 はじめまして。

 

 私は2001年に国際教養科を卒業いたしました。現在は南アフリカのヨハネスブルグに住んでいます。
 何をしているかと申しますと、現地のツアー会社に勤めており、ヨハネスブルグにあるOR Tambo(オー・アール タンボ)国際空港で毎日海外からのお客様のアテンドをしています。
 このブログを通して、今年開催されるFIFAワールドカップ南アフリカ大会のことや、南アフリカに関しての情報をお伝えしていきたいと思います。

 

 

 
 第1回目のテーマは“虹の国”です。

 
 南アフリカは俗に“レインボーネイション(虹の国)”と呼ばれることがあります。
 アパルトヘイトと呼ばれる人種隔離政策が廃止された後、いろいろな人種、文化、民族、言語などがひとつになって南アフリカ共和国が誕生したということに由来しています。
 肌の色も、民族衣装の色も、みんなカラフル。そんなカラフルな南アフリカについてひとつひとつ私がご紹介していきます。

 
 南アフリカには11の公用語があります。
 9つのアフリカ言語と、オランダ語から変形したアフリカーンス語と、英語とで、合計11言語になります。
 11の言語のなかで主に使われるのが、黒人言語のズールー語、アフリカーンス語、英語の3言語です。
 黒人同志で使われるのがズールー語。白人同志ではアフリカーンス語。様々な人種が一緒になると英語を使う、といったふうに使い分けています。
 学生時代は「英語ができれば…」なんて思っていましたが、ここの国の人は2つの言語や3つの言語が使えるのは当たり前のこと。黒人ですと6言語以上の言葉がわかる人が大勢います。

 

空港で働いているせいか、よく
「言語はいくつしゃべれるの?」
と質問されます。その時に
「日本語と英語だけです」
と答えると、
「中国語は話せないの?」
 と返されたり、
「他の言葉はしゃべれないの?」
などと訊かれたりします。
 アフリカ人からすれば、中国人も韓国人も日本人も皆同じにみえます。
 日本語と中国語の区別がつかないのは理解しますが、3年間も上に記したような質問をされ続けるとさすがに「いい加減にしてくれ」と言いたくなってしまいます……。
 たくさんの言葉を話す彼らからしてみると、「隣の国の言葉がなんでわからないの?」という単純な考え方なのだと思います。
 隣国のジンバブエやボツワナの言語は、南アフリカの黒人言語とところどころが一致しているので、「アジア人=中国人」の顔をした私がなんで中国語が話せないのか、彼らにとっては疑問なのでしょう。
 今さら他の言語に挑戦する気分にはなれないですが、中国語を高校・大学時代に選択しておけば良かったかな、と思うことは多々あります。南アフリカでの私と中国人とのつながりはまた別の機会にとりあげます。

 
 さて、南アフリカの国歌を見てみても“虹の国”であることがうかがえます。
 国歌は1番から4番まであり、1番はコーサ語とズールー語による歌詞で、2番はスゥトゥ語、3番はアフリカーンス語、そして4番が英語による歌詞となっています。
 この国歌は南アフリカ国民にとっても愛されています。式典や各種試合といった公式行事の際にはなくてはならないもので、国民は皆、誇りをもってこの国歌を斉唱します。
 1997年に大統領令としてネルソン・マンデラが制定し、歴史的には新しい国歌ですが、民族の曲を編曲してつくられており、南アフリカの民族和解・協調政策を象徴するような国歌なのです。
 この国歌は6月から開催されるFIFAワールドカップの開会式の際にも流れますから、ぜひ注目していてください。外国人の人たちにもぜひ歌えるようになってほしいと、国歌の歌詞カードをヨハネスブルグの空港で配布し始めた自治体の姿も見られます。もちろん、私も歌えますよv
 下にリンクを貼りましたので、皆さん、ぜひ一度聞いてみてください。
   「南アフリカ国歌」 http://www.southafrica.info/about/history/anthem.htm

 

 
 第1回目の記事で、最後に紹介するのは国旗です。
 
 南アフリカ国旗                                                                           現在の南アフリカの国旗は1994年4月27日、アパルトヘイト撤廃後、初めての民主選挙が行われた後に定められました。

 

 

 

 

 

 国旗の中に使われている色はさまざまな事柄の象徴です。整理してみましょう。
   赤は「過去の対立の中で流された血」
   青は「空と2つの海」
   緑は「南アフリカで欠かせない農場と自然」
   金は「南アフリカで産出される金に代表される天然資源」
   黒は「南アフリカの黒人の国民」と「他のアフリカ諸国とのつながり」
   白は「南アフリカの白人の国民」と「平和」

 

 南アフリカ国旗は、紋章や模様が入っていない国旗の中で、唯一、6色のカラーを使用している国旗なのです。それゆえ「レインボーフラッグ」と呼ばれています。“虹の国”の“虹の旗”ということになります。

 

 国歌同様に南アフリカ国民はこの国旗をとても愛していて、国旗をあしらったデザインのお土産はどこに行っても目にします。

 

 日本の国を色で例えると何色でしょうか? 日の丸の「赤」でしょうか? サムライブルーの「青」でしょうか?
 南アフリカを色で例えると…。
 やはり1色で例えるのは無理がありますね。
 いろんな人種・言語が存在する南アフリカは日本とはまた違う魅力にあふれる国です。
 みなさんにもぜひ興味を持っていただきたいです☆

 
 それでは また次回まで。サラガーシェ(ズールー語でさよならstay well)

 

 

編集部より

 宮崎かおりさんに訊いてみたい南アフリカ共和国に関する質問を受け付けます。

 匿名でも構いません。コメント欄にお書き込みください。

同窓会活性化プロジェクトだより008    総務担当に舩木紀子さん(第2回生)

2月 24th, 2010

稲毛高校同窓会 活性化プロジェクトの新たなメンバーを御紹介します。

 

   総務担当 舩木紀子(第2回生)

 

 舩木(ふなき)紀子さんには、同窓会における総務全般に関する会務についてリーダーシップを発揮していただきたいと思います。同窓会会務の活性化と効率化に社会での経験を活かしてください。

 

 平成22年2月22日

  稲毛高校同窓会 活性化プロジェクト特別委員会

同窓会活性化プロジェクトだより007    財務担当に岩田千佐さん(第8回生)

2月 18th, 2010

稲毛高校同窓会 活性化プロジェクトの新たなメンバーを御紹介します。

 

   財務担当 岩田千佐(第8回生)

 

 岩田千佐さんには、同窓会における財務全般に関する会務についてリーダーシップを発揮していただきたいと思います。

 

 平成22年2月18日

  稲毛高校同窓会 活性化プロジェクト特別委員会

同窓会活性化プロジェクトだより006    広報担当に弘中志津子さん(第3回生)

2月 18th, 2010

稲毛高校同窓会 活性化プロジェクトの新たなメンバーを御紹介します。

 

   広報担当 弘中志津子(第3回生)

 

 弘中志津子さんには、同窓会の広報に関する会務についてリーダーシップを発揮していただきたいと思います。

 すでに弘中さんには同窓会のブログの連載もお願いしています。ユニークな方法での同窓会情報の発信を期待したいと思います。

 

 平成22年2月18日

  稲毛高校同窓会 活性化プロジェクト特別委員会

同窓会活性化プロジェクトだより005    事業担当に川端幾美さん(第2回生)

2月 18th, 2010

稲毛高校同窓会 活性化プロジェクトの新たなメンバーを御紹介します。

 

   事業担当 川端幾美(第2回生)

 

 国際交流に力を入れている稲毛高校では、姉妹校への訪問の際におみやげになるようなスクールノベルティーの開発が急務です。頒布品などの商品開発をしていくのも事業担当の会務です。

 川端幾美さんには、同窓会が新たにチャレンジしていく事業担当としてリーダーシップを発揮していただきたいと思います。

 

 平成22年2月18日

  稲毛高校同窓会 活性化プロジェクト特別委員会

同窓会活性化プロジェクトだより004    企画担当に宮川文吾さん(第12回生)

2月 18th, 2010

稲毛高校同窓会 活性化プロジェクトの新たなメンバーを御紹介します。

 

   企画担当 宮川文吾(第12回生)

 

 宮川文吾さんには、同窓会、同期会、クラス会、OB交流会、そして懇親会や交流会などの企画全般に関する会務についてリーダーシップを発揮していただきたいと思います。

 また、本年は、国際教養科設置20周年の年にあたることから、奉祝行事などの企画立案にたずさわっていただきたいと思います。

 

 平成22年2月18日

  稲毛高校同窓会 活性化プロジェクト特別委員会

ひろなか志づこの随筆「ふむるす・るぷるす」の第1回目「テクノ。」

2月 15th, 2010

 新連載2人目。
 第3回生の弘中志津子さん(現在は鈴木志津子さん)の登場です。

 連載のタイトルをお願いしましたら、ひろなかさんからのご指定は「ふむるす・るぷるす」でした。
 あるものの学名だそうで、「言葉の響とかリズムがいいな~」と思われて決められたそうです。なかなか凝り性な方です。
なんの学名なのかは読者のみなさんがお調べください。彼女の大好きなものが判明します。

 文末に、デザイナーである彼女が描いたイラストが2点。
 今後、毎回ではないかもしれませんが、ひろなかさんが描く、どこかなつかしくて、やさしくて、あたたかい作品をあわせてご鑑賞ください。

 それでは、ひろなか志づこさんによる連載随筆「ふむるす・るぷるす」。その第1回目「テクノ。」、お読みください。

 

 

 高校1年生の夏、長崎より越してまいりました。
 長崎では「嫁にするならここ出身」と言われるほどの、カトリックお嬢様学校に在籍してました。
 校舎は深い茶色の重厚な木造。学校全体から「伝統」の香りが漂っていました。

 

 そんな場所から引っ越してきた私は、当時YMOに心酔中。
 千葉に来て、初めて見た稲高の校舎は、白塗りで、高床式で、シンプルなラインで、無機質。
 赤い壁面の図書室も独特に、どこぞの研究所の如し。
 その上、制服はグレーのスカートに紺のブレザー。
 九州から出てきたばかりの私は「テクノだ!」と感動し、ここへの編入を決めてしまった次第です。

 

 まあ、当時、最先端建築っぽいデザインの校舎の内側は意外にスカスカで、ベニヤの白壁には、あちこちにボッコリと穴や窪みがありました。
 カッコいいはずの高床式は、地盤沈下に備えて~だと言うし(←当時そんなウワサがマコトシヤカに流れていたものです)。

 

 新鮮に感じられた制服のテクノ色は、実はかなりの膨張色で、パンパンだったワタシのカラダをますます大きくしてくれましたっけ。(涙)

 

「INAGE BAG」……。今の生徒さんはお持ちになっていないようですね。
「adidas」風(パクリ?)に濃紺で「INAGE」だか「inage」だかとプリントされた白いスポーツバッグ。
「学生カバンだと潰してカッコつけるから、スポーツバッグにした」というエピソードを聞いたことがありましたが、カッコつける人はどんなバッグになっても、せっせと潰すんですね。
 バッグの下角にヒモか細い針金を通して広がらないように細工してましたもん。
 登校中のバスの中で遭遇した生活指導の先生からその針金を切られてしまい、無様になったバッグを持ってバスを降りる……なんてことも(それも、私の友達だったりして……)。
 今思うに、当時の先生方は熱かったようで。

 

 そういえば……。
 その頃直接にお世話になった先生方は、多分、今の私よりもお若いと思われます。
 自分の子ども一人の勉強をみてやるだけでもクラクラするのに、高校生(15~18歳)の大きな子どもを指導したり、40人以上も一括して勉強を教えておられたなんて。
 職業とは申せ、本当にすごいことだと、現在痛感しています。
 私の担任の先生、授業を担当してくださった先生、この場を借りて深く御礼申し上げます。

 

 さて、現在の私ですが、家事などをしながら、自宅でデザインやら編集などの仕事をしています。
 デザイン学校に通っただけで、その後、全く異業種に勤めた私ですが、不思議なご縁が絡み絡み、そのご縁に助けられて、現在に至っております。ささやかながら、若かりし頃の夢が叶ったってことかしらん。

 

 高校時代の自分が嫌いで、母校とは全く関わりを持っていなかったのですが、某巨大SNSの稲高コミュに、気まぐれで登録したことをきっかけに、一昨年末から同期・同窓生とお目にかかる機会がスコブル増えています。
「30周年同窓会」参加は、そんな私の集大成かも。
 このブログを通じて、今年新たに、どんな出逢い、どんな係わり合いがあるか、大変楽しみにしております。

 

 最後に僭越ながら2枚の絵を。
 1枚は、昨秋の同窓会で撮影した写真を絵にしたものです。全員3回生です。
 もう1枚は、それを25年前に差し替えて描きました。
 当時はみんなそれぞれのグループにいて、一緒に一枚のフレームに納まるなんて想いもよりませなんだ。ご縁とは本当に面白いものです。

 では、今日はこれにて。

2009

2009

1984

1984

 

 

執筆者紹介
 弘中志津子(現姓・鈴木志津子)
 第3回生。グラフィックデザイナー。編集者。
 高校1年生の夏休みに編入試験を受験。
 無事合格して2学期より稲毛高校生に。
 担任の先生は川崎健一先生。
 ドラム志望で「管弦楽部」に入部。パーカッションを担当。
 2年生の時の担任は大場利雄先生。
 文化祭に向けて、有志の演劇集団に参加。
 裏方として舞台美術らしき担当となる。
 3年生の時の担任は加藤正登先生。
 卒業を控えた11月になって進路希望が二転三転し加藤先生に激怒された思い出…。
 グラフィックデザインを学ぶため都内の美術専門学校へ進学。
 2年後、写真加工会社に就職。
 暗室作業に耐えられずホテル業へ転身。
 結婚するまでホテル業に従事した。
 専業主婦としてしばらく生活していたが、
 子どもの保護者会活動をきっかけに、
 そこでの出会いからデザインの仕事を本格的に開始する。平成14年頃です。
 現在、自宅で、編集やデザインの仕事にひっそりとたずさわっています。

平成21年度稲毛高校育友OB会に参加しました

2月 14th, 2010

昨日開催されました「平成21年度稲毛高校育友OB会」に参加してきました。きょうはそのご報告を。

稲毛高校を陰で支えている人たちが大勢います。忘れてならないのは「育友会」の存在でしょう。

厳密に同じかどうかはわかりませんが、いわゆる「PTA」や「父母と教師の会」のような組織です。昨日は、その育友会に参加されていたOBの方々の集まりでした。歴代の育友会の会長、副会長をはじめとする役員の方々や常任理事の方々、歴代の校長先生、教頭先生、総務部長の先生方などがご列席でした。

同窓会からは、吉田晴美会長代理と、足澤公彦活性化プロジェクト委員長が出席いたしました。その集まりで「30周年記念パーティーが無事開催できたこと」、「同窓会活性化プロジェクトの説明」などをしてまいりました。

吃驚仰天したのは、参加されていた保護者の皆さんのエネルギッシュなことです。いやぁ、熱い! まるでわが母校を思う高校生たちのように、時に呵々大笑し、時に真剣なまなざしで、母校の発展のためのアイディアをガンガン出し合っていらっしゃるのでした。卒業生以上に稲毛高校を愛しているのかもしれません。

母校への思いは、私たち卒業生も負けてはいられません。今後、育友会と一緒に共同開催できる企画を何か考えてやって行きましょうという話になりました。

育友会の皆さん、今後とも厳父慈母のように時にこわーく、時にやさしーくご指導ご鞭撻をおねがいいたします。

最後になりますが、昨晩の育友OB会を運営されていた先生方、お疲れさまでした。今後はぜひ同窓会の役員にも裏方を手伝わせてください。

執筆:足澤公彦(第2回生)

宮川文吾の「笑える話・笑えない話」第1話

2月 13th, 2010
ライブ会場にて。セット組みを開始する前にスタッフに挨拶し説明している宮川文吾さん

ライブ会場にて。セット組みを開始する前にスタッフに挨拶し説明している宮川文吾さん

今日から始まる新連載。
4人の同窓生たちが、思い思いにメッセージを発信します。
オープニングは、第12回生で、国際教養科第1回生である、宮川文吾さん。
それでは、「宮川文吾の『笑える話・笑えない話』第1話」のはーじまりぃ、はーじまりぃ。

 

 

 

稲毛高校同窓会の皆様
稲毛高校在学中の皆様
関係者の皆様
通りすがりの皆様

 

 はじめまして。こんにちは。第12回生で国際教養科第1回生の宮川文吾と申します。
 今回、縁があって同窓会活性化プロジェクトのお手伝いをさせていただくことになりました。どうぞよろしくお願いします。

 

 

 さて先日、恐らくキチンとしたのは卒業以来ぶりに、稲毛高校の中を青木正寿教頭先生にご案内いただいて見学してまいりました。
 あの場を、あの廊下を、20年前には、まだおっさんではなかった自分が、走り・・・歩き回っていたかと思うと懐かしさでいっぱいでございました。

 
 なんでも、すでに稲毛高校の卒業生は1万人以上いるのだとか。
 でも、先日の30周年総会には200人程しか参加していなかったとか。私はといえば、案内状すら送られてきておりませんでした。卒業後、転々としていますからね。しかたがないのかもしれないですが、そんな方もたくさんいらっしゃると思いますので、どうしたらよいのかじっくり考えて同窓会活性化プロジェクトを進めていきたいと思います。

 
 国際教養科も、今年、創設20年を迎えるということで、何かしたいですね。教養科同窓生の皆様、どうぞご連絡くださいませ。
 教養科に限らず、せっかくお誘いいただいた縁でございますので、母校のためにも、自分をご紹介いただいた恩師のためにも、何か盛り上がっていきたいと思います!

 

 

 ……盛り上がるといえば、今年はサッカーワールドカップの年ですね。
 思い起こせば8年前。日本で開催されていたW杯。西葛西の駅前で、居酒屋から出ると乗用車が赤々と燃えていて、若者たちが大はしゃぎしていたのを思い出します……。サムライブルーのユニフォームを着た人々が町に溢れ、フェイスペイントもはやってましたね。顔に日の丸とか書いちゃう、あれです。

 
 W杯中に近所の老人、戸塚三郎さんから(あ、実名出しちゃった)、
「宮川くん、サッカーがたくさん日本に来て(←この部分もちょっとおかしい)、彫り師はまた日の目を見るようになったんだねぇ……」
 と、声をかけられちゃったのも良い思い出です。
 いやいや、三郎さん。フェイスペイントは、入れ墨ちがうから。顔面に、日の丸の入れ墨なんか入れちゃダメです。

 

 

 家の本棚に、懐かしの『キャプテン翼』が、大人になったバージョンのマンガが並んでいるのを見ると、サッカー少年だった頃を思い出します(注:小学校4年生時代には学校のサッカークラブに入っていたらしいです。世間では、これくらいで、サッカー少年とは言いません)。
 お!? ひらめいた。W杯の2010年流行語大賞に、この言葉をノミネートしてみせよう。

 
 キャプテン翼といえば、もちろん、

「なにィ!」

 でしょう。

 
 普段自分が原稿作ってて、パソコン上にエラーが出たら「なにィ!」。
 スタッフが出してくれたお茶を飲んで熱かったら「なにィ!」。
 会社で和気藹々としゃべっていたら携帯が鳴って「宮川さん、今日の会議、欠席ですか?」と、すっかり忘れていた予定を聞かされれば「なにィ!」。
 ノリノリで携わった番組の視聴率が目標まで到達していない報告を受ければ「なにィ!」
 タンスの角で足の小指をぶつけたら「なにィ!」
 「宮川さーん」と呼ばれれば「なにィ!」
 ……などなど。

 
 ちなみに、初代キャプテン翼で誰が一番「なにィ!」を使っているのか調べましたところ、ぶっちぎりで日向小次郎でした。73なにィ。
 次が、石崎了の58なにィ。
 3位が次藤くんの26なにィですから、上位2名は、貢献度大ですね。
 なにィ普及の、今年の個人目標は、80なにィとしたいと思います。

 

 

 ……おっと、あやうく“なにィブログ”になるところだった。同窓会ブログだった。
「宮川さーん。どうやら、このブログ、月に2回くらい書かなきゃいけないらしいですよー」
「なにィ!」(←今年初なにィとなっております)
 ちっとも国際色のない国際教養科第1回生で、すみません……。

 

執筆者紹介
 宮川 文吾(みやがわ ぶんご)
 1974年11月10日生まれ。
 演出家。脚本家。
 吉本興業「よしもとクリエイティブカレッジ」2期生
 主に音楽アーティストのコンサートステージ演出を担当。毎年全国ツアーで忙しい。
 フジテレビ「お台場冒険王『ウォーターボーイズショー』」演出プロデューサー。他イベントも多数手がける。
 ACC CMコンクール「ラジオCM脚本部門大賞」受賞をはじめ、数々の舞台・CMの脚本において脚本賞を受賞。
 代表作には、大塚製薬「ポカリスエット」(ラジオCM)、「ポカリスエットステビア」(ラジオCM)など。

4人の同窓生が加わり、新連載がスタートします!

2月 11th, 2010

稲毛高校同窓会ブログで新連載がスタートします。

4人の執筆者をご紹介します。プロフィール原稿が到着した順番でご紹介していきます。

 

 

まずは、宮川文吾さん。

第12回生です。国際教養科の第1回生です。ご本人から寄せられたプロフィールです。

 

1974年11月10日生まれ。
演出家。脚本家。
吉本興業「よしもとクリエイティブカレッジ」2期生
主に音楽アーティストのコンサートステージ演出を担当。毎年全国ツアーで忙しい。
フジテレビ「お台場冒険王『ウォーターボーイズショー』」演出プロデューサー。他
イベントも多数手がける。
ACC CMコンクール「ラジオCM脚本部門大賞」受賞をはじめ、数々の舞台・CMの脚本において脚本賞を受賞。代表作には、大塚製薬「ポカリスエット」(ラジオCM)、「ポカリスエットステビア」(ラジオCM)など。

 

 

続いて、鈴木志津子さん。旧姓・弘中志津子さん。

第3回生です。ご本人が書かれた自己紹介文です。

 

高校1年生の夏休みに編入試験を受験。無事合格して2学期より稲毛高校生に。担任の先生は川崎健一先生。
ドラム志望で「管弦楽部」に入部。パーカッションを担当。2年生の時の担任は大場利雄先生。
文化祭に向けて、有志の演劇集団に参加。裏方として舞台美術らしき担当となる。3年生の時の担任は加藤正登先生。卒業を控えた11月になって進路希望が二転三転し加藤先生に激怒された思い出…。
グラフィックデザインを学ぶため都内の美術専門学校へ進学。2年後、写真加工会社に就職。暗室作業に耐えられずホテル業へ転身。結婚するまでホテル業に従事した。
専業主婦としてしばらく生活していたが、子どもの保護者会活動をきっかけに、そこでの出会いからデザインの仕事を本格的に開始する。平成14年頃です。現在、自宅で、編集やデザインの仕事にひっそりとたずさわっています。

 

 

3人目は、山崎陽一郎さん。

第1回生です。以下は、ご本人から寄せられたプロフィールです。

 

1963年12月17日生まれ。
東京デザイナー学院インテリアデザイン科に進学。
卒業後、数年間音楽関係の仕事に携わるも、やりたい仕事を目指し建築業界に入る。
1999年、トータルクリエイティブオフィス「cool jam desgin」を立ち上げ、ショップデザイン、ウェブ製作、写真撮影などを柱に、総合的な物づくりをはじめ現在に至る。
クライアントのニーズはまさに千差万別。主観的なルーチンで仕事を運ぶのではなく、本当に必要としているものを提供することがモットーです。
取得資格:二級建築士、電気工事士二種、重機免許、普通免許
趣  味:アコースティックギター、アクアリウム、テニス、ダーツ、美味いもの探索(お店めぐり)
ホームページ http://www.jamminxjam.com/
ものづくりブログ http://ameblo.jp/jamminxjam/

 

 

4人目は、宮崎かおりさん。

第20回生です。現在、南アフリカ共和国に滞在しています。南アフリカ共和国から届いた自己紹介です。

 

私は1998年に国際教養科に入学しました。
当時、私たちのクラスには、男子が11人もおりました。国際教養科としては異例のことで、それまでで最多でした。
クラスメートは、みんな個性豊かで、とにかく賑やか! とても楽しい高校生活3年間を過ごしました。
高校卒業後、言語をさらに勉強するために神田外語大学へ進学。チアリーディング部に所属しました。外国語とチアリーディングに全力を尽くした4年間でした。
大学在学中にタイ語を第二外国語として学んでいたことから、卒業後は、タイのサムイ島にあるリゾートホテルへ就職しました。
日本へ帰国後、今度は英語をもっと生かすために再度海外で働くことを決意し、南アフリカに本社があるツアーオペレーター会社に入社。
2007年ヨハネスブルグに赴任し、2009年に南アフリカ人と結婚、そして1人の息子を授かりました。
現在は家事、育児と仕事を両立しながら、毎日日本から南アフリカへいらっしゃるお客さまのご旅行中のケアをヨハネスブルグの空港でしています。

 

 

 

執筆を打診している方はまだまだ大勢います。ご本人からのプロフィールが到着し次第、順次ご紹介していく予定です。

 

さて、どんなタイトルで、どんな内容の連載が始まるのかは、乞うご期待、といったところ。

同時代を生きる、1回生、3回生、12回生、20回生が、それぞれに工夫を凝らしてメッセージを発信していってくれるはずです。

思い出話が綴られるかもしれません。

芸能界の裏話が登場するかもしれません。

サッカーワールドカップ南アフリカ大会の現地レポートがあるかもしれません。

厳選された一葉の写真が掲載されるかもしれません。

描写力抜群のイラストが貼り付けられているかもしれません。

校歌の第2番を覚えていらっしゃいますか。こんな歌詞でした。

  澄みわたりたる 碧空の
  微風は 窓辺に高し
  新しく文化を あやなすところ
  粋を集めし 我が学舎
  明朗闊達 つちかう気象
  共に学ばん 若人われら

いまこの瞬間、インターネット上にさまざまなブログがあって、無数のメッセージが発信されています。

この稲毛高等学校同窓会ブログが、他に例をみないユニークな「情報発信ブログ」となり、

「新しく文化を あやなすところ」として多くの皆さんにご愛読いただけるようにしていきたいものです。

 

執筆者の皆さんにとって、書き続ける原動力となるのは、みなさんからのコメントです。どしどしお寄せください。

 

なお、編集部の判断で、お寄せいただいたコメントが、このブログの趣旨に合わないと判断した剤には、

編集長の権限であらかじめお断りすることなく文章を削除させていただきます。

(編集長:足澤公彦 第2回生)