宮川文吾の「笑える話・笑えない話」第2話をお届けします。
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こんにちは。第12回生で国際教養科第1回生の宮川文吾です。
第2回目の今回は、私が入学した当初の思い出話でも。なにィ!
20年前、普通科のみで構成されておりました稲毛高校に「国際教養科」という、何とも魅力的なネーミングの学科が創設されることになりました。
当時、中学校3年生だった筆者は、そのなんともいえない魅力に引き込まれ、担任のY先生にお願いをし、推薦試験を受験させてもらったのです。
「宮川、お前、体育祭応援団長だったよな?」
「はい、そうです」
「で、応援団長として優勝に貢献した…」
「いや、先生。たしか俺の紅組は6チーム中でビリだったんじゃ…」
「いや、応援団長として優勝に貢献したんだよ。だって、内申書にそう書いちゃったんだから。お前、面接で聞かれたらそう答えろよ」
「……はい。先生ありがとう」
「それから、内申書の中身、本人にバラしたら、俺、減給になっちゃうから、絶対に内緒な」
「……はい。先生ありがとう」
すまん、Y先生。バラした。今。
ところが、推薦試験当日。
稲毛高校に集まった受験生は、300名以上(たしか)。
倍率数十倍でございます。
(ああ、みんなかわいそうだなぁ……)
なんだか切なくなる俺。
だって、かわいそうじゃない。上には上がいるってこと、知らないで来ちゃったんだよ。……俺もだったんだけど。
中学の担任Y先生の努力も、すべて無駄にしてしまったのです。
(こんなはずはない。俺は“やれば、できる子”と言われ続けて、もう12年だ)
「……はっ! ということは今まで一度もやらなかったということか!?」
小学校以来、一度も“やらなかった”筆者は、忘れもしない、1月26日推薦試験合格発表の日、不合格と同時に、大事なことに気づかされた日でもあるのでした。
ところで、推薦試験を受けるまで、「国際教養科」っていうやつは、こんなに男女比に差が出るとは微塵も考えたことはありませんでした。
1期生の宿命というものなのか。“何をする学科”なのかも分からなければ、“こんなに女子の多い幸せな学科”なのだということも知りませんでしたし、
“女子が多いっていうのは決して幸せなことではない”という世の中の真理も知りませんでした。この辺は後日。
一般受験当日、男子で受験会場にやってきたのはわずか7名。
先に3名の男子が推薦で合格していましたので、
(ほほう。全員合格して10名か。仮に40人クラスだとして、全員合格でも1/4。じゃあ、そこそこの点数でも学校はバランスを考えて、合格にしてくれるだろう。いひひ…)などとイヤラシイことを考え、
ほくそ笑みながら問題を解いておりましたことを思い出します。
ああ、いい思い出。青春ですね。
学校側に下心を悟られることもなく、一般受験は無事に合格。
結局、男子9名女子33名の合計42名でスタートした国際教養科1期生なのでした。
さて、入学式当日。
自分たちが第1期生ということで、状況がよく分からず学校までたどり着いてしまった私と、同じ学校から同じ教養科に入学した友人K。
ドキドキしながらチャリンコで登校すると、朝、校門で新入生にプリントを配る先生方発見。
どうやら、下駄箱の場所から、教室の位置、今後の予定などが載っているプリントのよう。
「国際教養科の方はおっしゃってくださーい!」
「あ、僕たち、教養科ですけども」
「おおおっ、じゃこれ」
配られたプリントはなんと英文一色。
下駄箱の場所がよくわからないんですけど……。
「しゃれキツイなー」
友人Kに強ばった表情で語りかける私。
「なー」
言葉少なく、やはり表情が強ばり気味の友人K。
まさか、英文のプリントがお出迎えしてくれるとは……。
友人Kとなんとかかんとか、教室までたどり着いた私たち。教室に入って再び焦る…。
だって、黒板に、今日の行動スケジュールが英文で書いてあるんですもの。
教室中の掲示物はすべて英文。
校訓「真摯・明朗・高潔」も、英文。
席順も英文で書いてある。が、これは自分の名前がローマ字で書いてあるだけなので、問題なし。
「へへん、ばかにしやがって。自分の名前くらい英語で書けらい!」(←あたりまえだ!)
席に着き、辺りを見渡すと、余裕そうな顔と泣きそうな顔の半々といったところか。
しっかし、女の子多いな。ムフフ。推薦で男子校行かなくて良かった。
男子が9人に、女子が33人ということは……。卒業までに3.6人の女子と付き合える計算だな。うん。文系なのに計算はやい。
「おーい。宮川~」
ふと教室の入り口を見ると、同じ中学の先輩が2人顔をのぞかせているではありませんか。
おお、懐かしい! 先輩。お元気ですか?
「しっかし、お前のクラス、すっげぇなぁ~」
「はい……。正直ちょっとビビってます……。まさか担任、金髪じゃないでしょうね? 泣きそうなんですけど……」
「始業式の時に、担任紹介があったけど、たしかすっげぇガタイのいい男の先生だったよ。天龍源一郎似の。体育科じゃねぇの?」
「……そっか。天龍か。じゃあ大丈夫だな」
「お、じゃあ時間だから戻るわ。頑張れよ」
「はい。先輩、ありがとう」
「あ、それから部活は水泳部な」
「……、はい……」
キーンコーンカーンコーンと始業のベルが鳴る。
しーんと静まりかえる教室。
廊下を歩いてくる人の足音。
だんだん近づいてくる。
担任だ。
ガラリ(←ドアを開ける音)
教室へ入ってきた先生は、情報通り、男性だった。
その姿は、桑田圭佑?
いや、やっぱりプロレスの天龍源一郎にそっくりだ。
ご存じない方のために、天龍とはこんな方↓

天龍源一郎著『七勝八敗で生きよ』 東邦出版から好評発売中!

こちらが奥山慎一先生ご本人(「20周年記念誌」より転載)
ごつい。
でかい。
こいつは、やはり体育の先生だ。
間違いない。
いや、しかしこの体格は、ある意味、外国人さんより怖いかも。
ま、いずれにせよ日本人だった。よかった。よかった。
友人Kと目でアイコンタクト。
いきなり外国人の担任が来たって、俺ら英語あんまりわからんもんなぁ~。
「ぐっもーにんぐ、えぶりばてぃ!」
椅子から転げ落ちるかと思いました。吉本新喜劇バリに。
天龍が英語しゃべっとる!
天龍が英語しゃべっとる!!
天龍が英語しゃべっとる!!!
その後、天龍先生は、英語で自己紹介と本日のスケジュールを説明し、最後に、
「しーゆーあっとじむねいじむ」
と言い残して教室を去っていかれました……。
それが、生涯の大恩師となる奥山慎一先生との初対面の様子でした。
こうして、私の高校3年間は、ホームルームのすべては英語。英語の授業もほぼ英語と、英語漬けとなるのでした。
いやいや、英語がわからんから英語習いに来たのに、英語で授業したら意味ないじゃん!
って、思ったところで、口に出して言えるわけもなく、日本語しゃべったら、10円のペナルティが発生する語学合宿も体験。
あやしいよー。見るからに日本人なのに、英語でしゃべってる高校生軍団。
しかも、しゃべってる人間が限られてるし。英語に自信のない奴は、そりゃあんまりしゃべれないよね。
当時、千葉テレビの取材機会も非常に多く、休み時間の会話を英語でしている怪しい日常風景も撮影していきました。この辺、ヤラセ……。演出ですけどね。いくらなんでも、休み時間まで友人同士英語でっていうことはないです。
いや、まぁそれぐらい徹底してやろうとしていたクラスだったんです。どのくらい徹底していたかというと、保護者会まで英語でやろうとしていたくらいですから。
(これはその日のうちに撤回されました。保護者が、ちょっと引いていたようです。そりゃそうだ)
執筆者紹介
宮川 文吾(みやがわ ぶんご)
1974年11月10日生まれ。
演出家。脚本家。
吉本興業「よしもとクリエイティブカレッジ」2期生
主に音楽アーティストのコンサートステージ演出を担当。毎年全国ツアーで忙しい。
フジテレビ「お台場冒険王『ウォーターボーイズショー』」演出プロデューサー。他イベントも多数手がける。
ACC CMコンクール「ラジオCM脚本部門大賞」受賞をはじめ、数々の舞台・CMの脚本において脚本賞を受賞。
代表作には、大塚製薬「ポカリスエット」(ラジオCM)、「ポカリスエットステビア」(ラジオCM)など。