Archive for 4月, 2010

宮崎かおりの南アフリカ最新情報「サオボーナ!」 第3回目「エアポート物語-ヨハネスブルグ 後篇」

4月 22nd, 2010

稲毛高校卒業生・在校生の皆さま

ブログをご覧の皆さま

 

 

 

 こんにちは。宮崎かおりです。第3回目の今回は「エアポート物語-ヨハネスブルグ 後篇」です。

 

 

 

 前篇を書き終えた次の日の火曜日に、私はまたこのタンザニア人一家と出会いました。

 私が空港を歩いていると、女性が走り寄ってきました。見るとあの彼女でした。そばには夫が子供を抱いて立っていました。月曜日のタンザニア行きのフライトに乗り遅れてしまい一晩空港で寝泊まりしたとのことでした。

「あなたにお願いがある」

 私はどんな内容か聞くことにしました。

「妹が今日タンザニアから送金してくれたが、パスポートをなくしてしまい、滞在許可証がないのでお金を下ろせなかった。あなたの名前で再度送金するよう妹に指示するので、あなたのパスポートと滞在許可証を銀行に持っていき、お金を下ろして主人に渡してほしい」

 赤ちゃんを連れて彼女は一足先に今日帰るので、送金されるお金を夫の帰国交通費に充てたいということでした。

 

 ふと、なんでこの人はパスポートをなくしたのだろう?という疑念が私の心によぎりましたがが、彼女の申し出を承諾しました。

 さっそく彼女が私の携帯を使ってタンザニアの妹に電話をしたところ、

「タンザニアから外国へ送金する場合はタンザニア人宛てにしか送金できない法律があるでしょ。それに、お金はもう送金してしまったわ……」

 と妹は言うのでした。

 

「ご主人のパスポートはどうしたの?」

「パスポートはありません。それと…、彼はタンザニア人ではない…」

 彼女はそう答えました。これで私の疑念は確実なものになりました。この人たちは“違法出稼ぎ外国人”だったのです。

 その瞬間、私は、彼らを助けたいという気分を一気に失ってしまいました。しかし、

「お願い、シスター。僕たちを町の銀行まで連れていって。そこでは滞在許可証がなくてもお金を引き出せるから」

 夫は執拗にお願いしてきました。お願いすればどうにかなると、当たり前のようにねだってくるのです。仮に私が町の銀行まで車で連れて行くとしましょう。運転中に襲われてしまうこともあるかもしれないと思いました。襲われて、車もお金も盗られてしまうかもしれない……という思いでいっぱいになりました。

「申し訳ないけれど、そのお願いはかなえてあげられない」

 

 彼らは大量の荷物を持っていたので、とりあえず、この日の飛行機に乗り遅れないようにチェックインしてもらうことにしました。私の心配は二人が連れている赤ちゃんのことだけです。母子が無事に帰るのを見届ければいい、と思いました。

 

 チェックインの手伝いをしている間、いつ南アフリカに来たのか彼女に聞いてみました。

「昨年の8月よ」

 彼女は答えました。8月にやってきたということは、その時すでに妊娠していたのです。タンザニアの友人に、南アフリカに行けば稼げるよ、と言われ、それを信じてやってきたそうです。

「信じてやってきたのに、仕事も、住む場所もなくて、いいことなんて、まったくなかったわ!」

 彼女はそう答えました。

 そのとき、私の同僚から仕事の電話がかかってきました。彼女たちに関わっていられなくなりました(正直逃げられる口実ができてほっとしました)。

「申し訳ないけど、私はまだ仕事中なの。今からまたオフィスに戻らなければいけない」

 そう告げると、夫が鋭い目線で私をにらみました。その目を見て、『この人はタンザニアに帰るためだったら、お金欲しさに犯罪を起こすかもしれない。そしてそのまま国外へ逃げるな』と私は思いました。

 

 このあとの二人のことはわかりません。

 でも確実に言えるのは、二人は南アフリカに観光ビザで入国し、ビザの期限が切れたのち、自分たちでパスポートを意図的に処分し、違法に滞在していたということです。帰国したくなったときは大使館に行って、パスポートを紛失したと嘘の申告をすればいいのだと彼らは信じ込んでいます。紛失した理由や経緯など、それなりの尋問はあるかとは思いますが、嘘の申告をしたほうが南アフリカの法務局に捕まるよりはましなのです。罪を犯しても、帰国してしまうか、南アフリカの国外に逃げてしまえば、捕まるリスクは低いということを違法滞在者たちは知っているのです。

 

 親切心から始まった人助けが、こんな結末を迎えてしまったのは残念でした。

 

 それでは次回までサラガーシェ。

宮崎かおりの南アフリカ最新情報「サオボーナ!」 第2回目「エアポート物語-ヨハネスブルグ 前篇」

4月 16th, 2010

宮崎かおりさんの南アフリカ最新事情「サオボーナ!」の第2回目をお届けします。

人種のるつぼという言葉がありますが、南アフリカ共和国はサッカーワールドカップを目前に控えて、多くの人たちが集まってきているようです。ターゲットは「お金」です。お金に群がろうとする人、人、人。

空港という出会いと別れの場で、宮崎さんがどんな仕事をしているのか、今回の記事を読んで、少しだけ垣間見ることができます。

 

 

稲毛高校卒業生・在校生の皆さま

ブログをご覧の皆さま

 

 

 

 こんにちは。宮崎かおりです。第2回目のテーマは「エアポート物語-ヨハネスブルグ 前篇」です。

 

 今回はエアポート物語。国際空港では、久しぶりの再会や旅立ちの涙など様々な光景を目にします。アフリカの現状を目の当たりにさせられたストーリーをお伝えします。

 

 

 

 

 先週の金曜日、生後3週間の赤ちゃんを連れた黒人の夫婦に空港のベンチで出会いました。

 

 ケープタウンから来た彼らは、ヨハネスブルグで出迎えの男を6時間以上待っていると言います。

 

 子連れで長時間待っている姿が気の毒だったので、

「その出迎えの男に連絡は取ったのですか」

 と質問をしました。

「午前中は携帯電話がつながったが、午後からは電源を切られたようで連絡不通になっている」

 と夫婦は言い、他にあてのない2人は、

「ただその男を信用して、待っているしかない」

 と不安そうな表情で答えました。

 

 もしかしたらこの夫婦は嘘をついているかもしれないし、あまり簡単に関わるべきではないので、本来ならば放っておくのですが、生後3週間の赤ちゃんの顔を見ていると、そのままにしておくわけにはいきませんでした。

 

 さらに事情を詳しく聞くことにしました。

 

 2人はタンザニア出身のタンザニア人で、これから本国へ帰国するところだといいます。しかし、赤ちゃんのパスポートがないので、プレトリア(南アフリカの行政の首都)にある在南ア・タンザニア大使館に渡航証明書類を受け取りに行ってから帰国しようとしていました。夫婦が待っている出迎えの男は、無料で彼らを大使館へ連れていき、再度空港まで送り返すことを約束してくれていたのだそうです。

 ところが、ケープタウンからヨハネスブルグまでのフライトが3時間も遅れ、到着したときに出迎えの男の姿はなかったのだそうです。連絡をとろうにも相手の携帯電話が不通になってしまったのだそうです。

 

 男を信用していた夫婦は、渡航証明書類の代金とわずかなタクシー代しか持ち合わせていません。所持金ではプレトリアに行くこともできないのです。仕方なくただただ6時間以上も待ち続けていたのです。

 

 不運なことにこの日は金曜日。すでに時刻は18時を回っていました。大使館はもう業務を終えています。次に大使館の扉が開くのは月曜日の朝ということになります。すべての荷物をスーツケースに詰め、ケープタウンの借家を出てきてしまった夫婦にはもう戻る場所がありませんでした。月曜日までの3日間ヨハネスブルグで寝泊まりする以外に選択肢がないのです…。

 

 夫婦の話がすべて本当ならば、無知な彼らは、その出迎えの男にだまされていたことになります。

 

 かわいそうな親子を見かねた私の白人の女性の同僚が、そのあと必死で教会や知人宅に彼らを宿泊させてくれないかと聞き回りましたが、どこも受け入れてはくれません。結局私の同僚は自宅に2晩泊めさせることにし、最後の1晩は安宿を手配することにしました。同僚に少しでも協力しようと、私も、赤ちゃんのミルクやおむつ代の足しになるよう、ほんの気持ちを渡しました。財布からお金を自然にとりだしましたが、気持ちは複雑でした。起こった現実にショックを受けていたのかもしれません。

 

 月曜日。今日は彼らが帰国する日です。

「うまく渡航証明書類が取得できたら、妻と子は飛行機に乗せます」

「え? 一緒に帰国しないのですか?」

「はい。私はバスで帰ります。タンザニアへは5日間かかりますが、仕方ありません」

 そう夫が言った。

 

 私が出会ったこの子連れの夫婦は、おそらくタンザニアから南アフリカに出稼ぎに来ていたのでしょう。出稼ぎに来て、妻は妊娠し、出産したように思います。このまま南アフリカにいても生活していけないと判断したのか、十分なお金もないままタンザニアへ戻ることを決めたのだと思います。

 

 わざわざ出稼ぎにきたのに、充分に稼ぐこともできずに帰国するときに全くお金を持っていない彼らは、出稼ぎ外国人として超低賃金で働かされていたのだと思います。

 

 ワールドカップの開催は、近隣諸国に、いたずらに幻想を抱かせているのかもしれません。世界規模の大会を開催するにあたり、インフラ整備に伴う建設業や観光業における労働需要は高まっており内需の拡大も進んでいるのは事実です。しかしそれらは富裕層に限って言えることであって、大量の貧困層における失業率は25%を超えているのが現状なのです。

 

 周辺の国々では、南アフリカに出稼ぎに行けさえすれば…と安直に希望を抱く人が無数にいますが、国内の失業問題を解決していない現状では、海外からの出稼ぎ労働者にとって、希望あふれる国とは言えないのです。

 

 

 最後に残されたお金。生後まもないわが子と妻を飛行機で帰国させることが夫にできる精一杯の愛情だったのかもしれません。この親子3人がタンザニアに無事に帰国してくれることを願うしかありませんでした。

 

 後篇につづきます!

 

 

 それでは次回までサラガーシェ。

ひろなか志づこの随筆「ふむるす・るぷるす」の第2回目「コロッケとマック」

4月 5th, 2010

  ひろなか志づこさんによる連載随筆「ふむるす・るぷるす」の第2回目をお届けします。

 「ふむるす・るぷるす」ってビールのホップのことじゃない?と言い当てた人がいました。同窓会の運営スタッフの一人Yさんで、ビールは苦手だけど日本酒が大好きな女性スタッフでした。第1回目に掲載されたひろなかさんのイラストを見て「私の似顔絵を描いてもらえないかしら」とも言っていました。今回の原稿にもイラストが登場します。よかったですね、Yさん。

 

 今回の文章中に貴重な証言が出てきます。私も創立30周年記念誌を読んで「アレ、ちょっと違うぞ!」と思った箇所をひろなかさんが今回この随筆で指摘し訂正されています。実は、高校1年の3学期、2年に上がる直前の春休みだったかなぁ、千葉県文化会館で行なわれた演奏会かコンクールでの演奏で、私、小太鼓の担当として飛び入り参加し、間違えずに、テンポも狂わずに『アルルの女』の64小節を独奏したのでした。懐かしい思い出です。その後、ひろなかさんがパーカッションの担当になったなんて今回初めて知りました。なにかのご縁が続いているのですねぇ。

 

 それでは第1回目コロッケとマック」、お読みください。

 

 

 

 4月です。只今KIRIN 一番絞り満喫中です。

 春になると、日本のすたんだーどな味わいが益々美味しく感じられます。

 (未成年の君たちは二十歳まで我慢してね)

 

 4月早々の夕刻。

 古い友人から、

「結婚します。詳細は後程」

 というメールが届きました。

「おめでとう。お前様もとうとうか」

 と、心の奥でつぶやき、

「結婚式は何を着ていこう」

 などと考えておりましたら、再度着信が。

「エイプリルフールだね。一度、言ってみたかったんだよな~」

 という脳天気なメールに某(それがし)、危うく大切なケータイを床に叩き付けてしまうところでした。

 

 ともあれ、エイプリルフール当日は快晴。そして桜が開花し始めた日。春の青空と桜に免じて、このアホアホな友人を許すことといたしましょう。

ジャスコマリンピア店周囲の桜と空

ジャスコマリンピア店周囲の桜と空

 

 

 

 さて、私が高校生だった四半世紀前に比べると、高洲エリアも大きく変貌しまして、ご存知の方も多いとは思いますが、とにかくマンションが増えました。

 現在ジャスコマリンピア店の向かいに建つベイマーク(高層マンション2棟、中層マンション2棟)は、当時、砂利が敷き詰められた駐輪場だったと記憶しています。

 

こんな街並みになって早10数年。

こんな街並みになって早10数年。

 

 

 話が逸れますが、高校時代の部活は「管弦楽部(オケ)」です。

 私が入部した高1の冬には既に、吹奏楽部(ブラバン)とオケに分かれておりました。先日発行された30周年記念誌には「以来20数年に渡って管・打楽器のない『管弦楽部』を名乗っていた」と記されていますが、少なくとも私が在校しておった間は、少人数ながらフルート、トランペット、トロンボーン、パーカッション担当が居ましたのよ。現に私はパーカッションでしたし。

 

 と、修正申し上げてスッキリしたところで話を戻しましょう。

 

 授業が終わった土曜日の午後。

 練習前の昼食時、ちょくちょく買出しに行っていたのが高浜の稲浜ショップです。

 あの頃、ここの肉屋のコロッケが部員達のお気に入りで、1個70円か80円くらいだったかな……。安価ですが、すこぶる美味しい!

 お店の人にお願いすれば、ソースもかけてくれたと記憶していますが、いかがでしょう。

 (私の記憶が違っていたら、コメントでどうぞ訂正お願いいたします)

 

 ホックホクのコロッケを買ってきて、音楽室奥の練習室でみんなして食べていたのを覚えています。

 現在の稲浜ショップは、当時と差ほど変わっていません。書店、酒屋など、当時からずっと営業を続けているお店も残っています。でも、八百屋、魚屋、肉屋、スーパーなどは入れ替わりが激しくて、今ではその肉屋も数代前のこととなりました。

 入れ替わりが激しいと言えば、現在マリンピア専門館のある交差点周辺もそうですね。

 (最近、デニーズが撤退しローソンになりましたし)

マリンピア専門館のある交差点周辺

マリンピア専門館のある交差点周辺

 マリンピア専門館になる前は、ダイエー系のDマートだったかと。Dマートの前には何が入っていたかまで覚えておりませんが、現在、サンジェルマンというパン屋のあたりにマクドナルドがあったと思います。ここはフロアがL字だったと記憶しています。

 

 そういえば……、そういえば、この店でひとつ、トラウマを作ってしまったのでした……。

  多分、2年生の夏休み。部活の帰り道。

 先輩方数人と、このマックに立ち寄り、いつものように緩い会話を楽しんでおりました。

 そんな最中、突然、私の90cm目前にこんな光景が。

異様に頭のデカいビッグマックポリス、笑顔メイクの奥に垣間見える「不機嫌」が怖いドナルド、重くて辛そうなのに前歯を出して笑っている小柄なハンバーグラー

異様に頭のデカいビッグマックポリス、笑顔メイクの奥に垣間見える「不機嫌」が怖いドナルド、重くて辛そうなのに前歯を出して笑っている小柄なハンバーグラー

 見てはいけないものを見てしまった……。

 私は彼らが視界から消えるまで、呼吸が止まってしまいました。

 

 それ以来、ディズニーランドのミッキーすら拒絶してしまうカラダになってしまったのは言うまでもありません。(つづく)

 

 

 

執筆者紹介
 弘中志津子(現姓・鈴木志津子)
 第3回生。グラフィックデザイナー。編集者。
 高校1年生の夏休みに編入試験を受験。
 無事合格して2学期より稲毛高校生に。
 担任の先生は川崎健一先生。
 ドラム志望で「管弦楽部」に入部。パーカッションを担当。
 2年生の時の担任は大場利雄先生。
 文化祭に向けて、有志の演劇集団に参加。
 裏方として舞台美術らしき担当となる。
 3年生の時の担任は加藤正登先生。
 卒業を控えた11月になって進路希望が二転三転し加藤先生に激怒された思い出…。
 グラフィックデザインを学ぶため都内の美術専門学校へ進学。
 2年後、写真加工会社に就職。
 暗室作業に耐えられずホテル業へ転身。
 結婚するまでホテル業に従事した。
 専業主婦としてしばらく生活していたが、
 子どもの保護者会活動をきっかけに、
 そこでの出会いからデザインの仕事を本格的に開始する。平成14年頃です。
 現在、自宅で、編集やデザインの仕事にひっそりとたずさわっています。

お宝発見!

4月 3rd, 2010

record1

「珍しいものがあるんだけど、ブログで使えるかなぁ」

このブログを読んでくれているクラスメートから連絡をもらいました。

連絡をくれたのは、笠原さんご夫妻。共に第2回生です。稲毛高校への愛校心あふれるお2人です。

 

早春とはいえまだブルブル震える陽気のある夜、笠原夫人からお預かりしたのは、なんと1枚のドーナツ盤でした。

ドーナツ盤? CD世代の同窓生にはなんのことやら…。

ドーナツ盤とは、シングルカットされたレコードのこと。裏と表に1曲ずつ録音されています。表をA面、裏をB面と呼びます。

このレコード、校歌が収録されています。A面とB面とで、演奏形態を変えています。

校歌発表会の後に、第1回生と第2回生に配布されたようなのです。これは、まさにお宝!

 

record2

「もらったでしょう!覚えてないの?」

記憶にありませんでした。思い出せませんでした。

今年、筆者は47歳になりますが、高校生の頃、貸しレコード屋さんが全盛期でした。

CDが登場するのは1982年。本格的に普及し始めるのは日本では1985年ごろです。

小型ステレオカセットプレーヤー「ウォークマン」が1979年に発売され、聞きたい曲、録音して残したい曲は、FM放送で「エアチェック」したり、レコードを借りてきてカセットテープに録音したものでした。

 

record3

わが家には、レコードプレーヤーがありますが、場所を取るからと、倉庫にしまったままです。

今度学校へ持っていって、放送室でこのドーナツ盤をかけてみたいものです。

放送室にはまだレコードプレーヤーはあるのかなぁ。レコード針を替えたのはいつが最後かなぁ。

 

今回の記事は、笠原順一君・淑子さん(旧姓:水本)ご夫妻のおかげで執筆できました。ありがとうございました。

 

 

 

ブログ編集長からのお願い

どなたか、今でも「稲毛バッグ」を保存している方、いらっしゃいませんか?

もしお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひお知らせください。

その他、稲毛高校グッズをお持ちの方、ぜひご一報ください。

執筆:足澤公彦(第2回生)

母校の桜の花が咲き始めました

4月 1st, 2010

sakura1

稲毛高校に桜の木があるのをご存じですか?

中庭の、進路指導室の前に植えられています。

正門から入って、玄関の扉を開けると、奥の窓ガラスの向こうに春の景色が楽しめます。

今週末が満開のようです。

 

 

 

sakura2このブログで取り上げた奥山慎一先生が4月より校長先生としてカンバックされました。

いなげの浜に日が沈み、中庭の庭園灯に照らされた桜の花を眺めながら「ご縁のふしぎ」をふと思ったりしました。

稲毛高校の新しい一年が始まります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

離任された先生方、赴任された先生方の情報は、わかり次第、このブログでお伝えしたいと思います。

(執筆:ブログ編集長・足澤公彦・第2回生)

同窓会長の会務権限委任のお知らせ

4月 1st, 2010

 「同窓会長の会務権限委任のお知らせ」

平成22年2月8日より平成22年3月31日まで、副会長である吉田晴美が同窓会の会長代理として会長会務を執り行ってまいりましたが、 同窓会則第4章第16条第2項に基づいて、引き続き次回同窓会総会まで、会長会務を執り行うことになりましたのでご報告いたします。

平成22年4月1日

千葉市立稲毛高等学校 同窓会長代理

吉田晴美